カテゴリー : 祈り

夏の空から

こんにちは。たいへんご無沙汰しました。

fulfulのお店を5月いっぱいで終了させていただいてから、ほとんどの時間を野山で過ごしています。

畑を触ったり、草刈りをしたり、古民家の修復をしたり、よその土地の水脈整備、竹藪の整備をしたり。

日中に信じられないほど汗をかくので、夜は早く眠くなり、起きていられないので、ブログが書けないー!!

ようやく最近落ち着いて、自分のペースをつかみ、朝これを書いています。

ヘアーカットは、どうしてもー!やってー!という方だけ、時間が取れればやっています。強引な方は連絡して見てください。笑

さて、わたしは去年から明らかにこの土地に呼ばれ、大地と繋がるようにとの強いエネルギーに導かれています。

というと怪しげなのですが、最近は特に確信を持たざるを得ない出来事がいろいろあり、自分でも、こんなことってあるのー?という日々です。

これからはその、不思議な、でも本当は不思議ではない、日常の大地のエネルギーで何が起きているか、お伝えしていきたいと思います。

私たちはみんな、本来から大地と強くつながっており、個人の人間という力をはるかに超えた能力を持っているということを再確認していきましょう。

それは、愛そのもの。

私たちは愛のエネルギーのかたまりなのです。

そして、その人々の愛と常にコンタクトしている植物の存在は、驚くほど人を導いてくれます。

今まで、体験したことがなかった皆さんも、関心を持っておられればきっとそれが当たり前になってきますから〜♡

 

 

 

 

ブレイクスルーの不思議

    「ブレイクスルー」という言葉

突き破り突き抜けるということですが、人の人生においても使われます。

自分の中に本当の生命力や太古からの知恵、幸福感までもが本当は眠っている。眠っているだけ。

人生の何かの局面で、その内なるものと繋がることができたとき、今までの殻を破り、一気に才能が発揮、病気が治癒、心身の目覚め、人生の変化が起きることがある。

私たち自力整体ナビゲーターの師匠、矢上氏もそのことに言及していて、ご自分がこれまでに多くの著書を書いてこれたのも、明らかにこのブレイクスルーによるものだと話しています。決して文才があったり、計画していたりしたものではないそうです。

何か一つのことに集中して、自分を信じて行動していると、人は自分の中にある宇宙という世界につながっていきます。外側のあの宇宙ではなく、自分の中の果てしない宇宙と自然につながっていく。本来人はそういうもののようです。

誰ともくらべなくてよい。誰に称賛されなくて褒められなくてもよい。「おかしい」と言われてもよい。人知れず好きなことを気持ちよく、やり続けているときに、輝くブレイクスルーが起きる。

情報の時代になり、みんな外側に正しいものを探しますが、自分が求めている情報は、自分の中のDNAや魂が持っている見えない「知恵」の森の中にしかない。だから、もし人の話を聞くのであれば、自分の内にも尋ねてみよう、というインスピレーションをくれる人の話を聞くといい。そして自分の中の森を探検する!

さあ~!自分の中の森へ行こう!
私は、最近自分の中の喜びの森を探検していたら、外側のあの山の森で、何もない暮らしを実現したくなりました。それは実は、幼ころから裸族の人たちの暮らしに興味津々だった私の、昔からの夢なのですが、また思い出したのです。
すると、どんぐりを主食にして自分で建てた小屋に住むという、天産自給生活の研究をしている人に出会い、自分で作れるバイオトイレを設計してくれる人。同じこと考えている林業の人、水道土木の人、次々に出会いました。時が熟してきた感じ・・・

でも、このことを実現するのに、大変なことはしないと決めています。
自分のしたいことを信じて、素晴らしいことをイメージする。気持ちよく呼吸をする。
それを最優先していると、不思議に人が集まる。自分もパワーとアイデアが出てくる。
天産自給生活が実現してしまったら、食べ物もそんなに必死でつくらない。お金もかからない。
はっきり言ってヒマ!そのとき何を人はするんでしょう。
つまり、裸族の原住民の人たちは何をしているんでしょう。
そのときこそ「愛を感じて楽しむ」ことに忙しいわけです。。

そんな呑気な夢見る夢子的創造の実験。。
また、今後の展開はブログでご紹介いたします。

もし、そんな「愛を感じて楽しむこと」に忙しい生活に興味がある方は、ぜひご連絡くださいね。
mail@fulful-beauty.com

 

 

 

 

大往生について思うこと

最近「看取り士」という人にお会いしました。
日本看取り士会という会があり、なんと岡山に本部があるそうです!!

わたしは3年前に実母を看取り、その体験が今もとってもリアルに思い出されるのですが
あまりにも素晴らしい体験だったので、まわりの方にも自然な看取りについての
理解が深まるといいなと思っていました。
人の最期は、悲しいとか惨めなものではなく、美しくて静かで、ユーモアさえあるもの。
看取る人も、実際にやってみるとな~んだこんなに簡単なんだー!と
全く楽々と余裕があり、ゆったりとした時間が過ごせるのです。
そして、最期を迎える人が、これまでどんな人柄であっても、なんだかかわいらしい表情になり
愛おしく思えてきて、家族のエピソードをいろいろ思い出し、不思議にありがたく思えてきたりします。
そして、そんな看取りをした後は、自分の最期についての不安はもちろん一切なくなり
生きることについても、どんな人生もみんな素晴らしい、自由に生きればいいんだ~♫と思えるのでした~。

私は、3年前の実母と、昨年の主人の父を、どちらも本人の自宅で、点滴もなく自然に看取り
それを見せてもらうことの大切さを心から感じました。

もしかしたら最近、人生でがんばりすぎる人、考えすぎる人、まじめで疲れてしまう人が
多いのは、自然な看取りを経験する人がいないからではないか、、、
と私は思うようになりました。

この看取り士会という会も、そのような目的で看取り士を養成しているようです。

呼吸ってすごい

大きく呼吸をしながら、自分の身体を感じたり、静かに動いたりしていると、なんとなく幸せな気分になってくる。

幸せだ〜、わたしは幸せだ〜と意図的に呟いていると、ますます気持ち良くなってきて、今この呼吸をしているこの瞬間がいちばんすごい。これほど素晴らしいことはない、と思えてきます。

生きるために呼吸するというより、呼吸の素晴らしさを感じるために生きているのです。

この瞬間だけのために生きているのでもいいのです。

本気でこの瞬間のために生きていこう。

呼吸している全ての人や生き物も、宇宙も、わたしと一緒に呼吸している。ぜんぶ繋がって、わたしが満足するのを待っている。

わたしも全てが満足するのを待ち望み、祈っている。

わたしの身体は小さいけれど、存在は、呼吸は本当にすごい。

周りの人と共に生きているだけでなくて、宇宙の全てと共にある。

それを、幼いときから知っていたと思う。

どんなときも何があっても、わたしの中の幸せは大きな変わらないものだと、知っていたと思う。

うっかり幸せ~

お休みの日に、なななんとー
笑顔共和国の福田純子先生にお会いしてきました。
自力整体のナビゲーターともだちに純子先生の
「笑顔チャチャチャ」という踊りを教えてもらったことが
きっかけで、純子先生のちょっとしたファンになっておりました。

ひょんなことからご縁をいただき
お会いしたい気持ちになり福岡へ・・・
弥勒菩薩のような・・・
そしてまた、大阪のおかあちゃんのような
ほっとする笑顔で迎えてくださり
令翠とやらを教えてくださいました。

ここでもまた、生まれる前から
天と約束してきている宿命のことについてのお話で。。。
おおまかな宿命、天命は自分で決めたことである。
素直に天にまかせ、起きてくることに対して
「はい、そこから学びます、ありがとう」
と言う気持ちでいれば、どんどんエネルギーの上昇気流に
乗れるようになっている。ということで。。

激しく納得いたしました。
こういうお話は、ぜんぜん苦手な人が聞くと
何を根拠に。。という話ですが。。
最近では、その根拠がしっかりとしてきているのも確かなこと。

私も、生まれる前のことや後のことなんて
どうでもいいやん。この人生を楽しく生きるだけだよ。
と思っておりました。
それがなんだか歳とともに、どんどん意識が変わってきて
この人生はちょっとしたアトラクションに参加しただけの
ことであり、あちらの世界が本当のふるさと。
そして、本当はそのふるさとは今ここでもあるのだと。
つまり、表面の意識だけが今世を体験していて
魂はずっとふるさとに居続けているという。。。
うん、毎日瞑想していると、本当にそれを実感するのです。。。

それなら、、、今、この物質世界で
天とつながりながら何をするのか。
今もいつも天とつながって、すべてとつながりながら
分かれて見えるこの世界でできること。。。
それについては、大いなるものにつながりながら探していこう
頭は常に別々体験、別々意識をすすめてくるから。。。
もし、この世界中の人や自然やいろんなものが
一つの身体だとしたら、、、愛するしかない。。
頭を休めて、実感していくしかない。。

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自由につながろう〜

何につながるのか…

自分の中の宇宙です。

本当はいつもそこを見ていたい

本当はずっとそれにつながっていたい。

いいえ、つながっているのです。

軽くなって流れていけるのです。

たどり着きたいところへ

見たいもののところへ。

ほんとうに見たいものはなんでしょう。

自由にそのことだけを思ってみましょう。

その時、私たちは多くのエネルギーを受け取ります。

 

イメージの法則

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自分がイメージしたことが常に実現している。
みんなみんなそうなんです。
本当に本当にそうなんです。
たとえば、家のドアを出る瞬間
車のエンジンをかける瞬間に
今日もスムーズに目的地に着く、というイメージを
どれだけの人が意識しているでしょうか。
朝起きた時も、今日一日を素敵な体験で満たすというイメージを
意図的に抱いている人がどれだけいるでしょうか。
でも、イメージすれば、たったそれだけのことで
そのように近づくのです。
逆に、何もイメージしなければ、何も起きない。
無意識でいるときに、理想的なことが起きたりはしないのです。
起きてほしいことを意識しましょう。
ありありとしたイメージを膨らませると、不思議な出会いが
道を開いてくれます。
人間はみんな目に見えない魔法を使える生き物です。
いろんな出来事を深刻にとらえずに
魔法を使って楽しみましょう。
行動よりもイメージを先に膨らませて。。。。

 

 

 

宇宙の愛を感じるとき

ソラ blog

 

 

 

 
自分の身体に意識を向けてただゆっくり呼吸をする。
少し時間をとって毎日繰り返していると
だんだん自分の中で宇宙の愛を感じるようになります。
すべての行動の前に、宇宙の愛を感じる。
自分自身が宇宙の愛だと思えてきます。
どんなに急いでいても、大切なことでも
宇宙の愛を感じてから行えば、気持ちよく展開していく。
人間の世界から見た幸せではなくて
自分の世界が気持ちよく愛で満たされていきます。
でも、すぐにではない。
いろんな出来事やハードルを通過しながら
そんな中で本当の愛を感じたいと求める。
そういう経験をするために身体をもって生まれてきたのかもしれません。
私たちの命の源が、宇宙の愛とつながっていて
それがすべての生き物ともつながっているという
壮大な、でも単純なこの宇宙。
それを感じ始めると、限りなく魅了されていくのです。

 

終戦の日に。

8月15日終戦の日、私の父は満州にいました。
16日、スターリンは日本人兵を捕虜にしないと公表したが
23日には、なぜか50万人以上を捕虜として
強制労働させることに決定。
長い長い雪の中を、父も歩きました。
シベリア抑留生活の始まりです。

雪の中で材木を運ぶ日々が続きます。

あるとき、崩れ落ちてきた材木の下敷きになって
瀕死の打撲。胸に水がたまり労働が困難になったころ…
日本政府が、シベリア抑留の事実を知り
兵士の帰還をロシアに要請しはじめます。
父が復員して舞鶴に帰還したときは
自分で歩けない状態でした。
もちろん、まわりの人もそのような人多数。
その後、岡山の病院で胸の状態を治療するため
胃を3分の2を切除。 このときの輸血により
C 型肝炎に感染していたことがのちに分かります。
その後、体力減退で結核感染。
日本の元兵士には、ストレプトマイシンが米から配布されなかったため
父の実家は、田畑や山を売って闇のマイシンを買いました。
帰ってきたばっかりに家をつぶすことになったと
自分を責めていたそうです。
一命を取り留めた父は、看護婦だった母と結婚。
その後も長い闘病生活が続きます。
私の記憶では、父は病院で暮らす人という印象です。
母の看護の成果あり、60歳くらいから安定します。
最後は、最初の手術のとき感染していた肝炎が原因して
肝臓ガンで73歳、旅立ちますが、長く生きたと思います。
これは、当時、外地へ行った兵隊さんが大勢経験している
ことですが、父の場合、幸い晩年「幸せだ」と言って暮らしたのですから
日本の変容ぶりといったらすごいものだと思います。
本当に時代って、なんて変わるんだろうと思います。

私はまだ若くて、高度成長期に育ち
父の経験にはなんの興味もなく育ってしまいました。
どれほどたいへんな思いをしたか、家族に話したい日も
多かったことと思います。
本当にご苦労様でした。

生きて帰ってきてくれて
故郷には喜ばれない身体になりましたが
私は自分が、父のところに生まれたことを心から感謝しています。

未来

あまりにも可愛らしい赤ちゃんを見ていると
いつまで見ても飽きない

子育てをしていないことが少しさびしい

「あんたが生まれた時
この子が本当に自分の子供だろうかと
毎日思うほど、すごく可愛いかった」
母がよく言ってくれた

この子の命が、どうか輝く未来でありますように

心がつながる世の中でありますように

だから、今日もできるだけ
子供の心で暮らそう
泣くことはあっても恨まないでいよう
心地よいことだけをしよう
考えすぎないでいよう